対話の会9月例会@世田谷小2017年9月23日(土)15:00~18:00
参加者の自己紹介の後、提案者の
「この場に立つとは思っていなかった。嬉しく思います。」
という言葉で例会は始まりました。
●提案者より提案の概略
・ 課題を自分ごととしてとらえて欲しい
→日常的な問題を取り上げたらよいのではないか
やってみた
→意見は活発になるが・・・
意見は出るが、子供たちの生活に直結する選択を迫られる
・ 二項対立になる
・ 選択が生活に影響する
・ 子どもの発言・選択が本当にその子の思いなのか?
その反省から
→今回は、課題よりも、「よさ」に目を向けて実践をした
●「モラルジレンマ」の手法を取り入れて行った。
・ 3つの読み物を読み、1つの単元にした(2時間×3次の6時間構成)
・ 子どもは、自分のもった意見に固執する
・ それも大切だが、クラスの子の意見を受け入れることも学んで欲しい
・ 立場が変わること、変わらないこと両方に価値がある
●この子について
<りゅう>
・ 自分勝手な行動をすると感じる
・ これまでの道徳の自己評価は「1」→本実践後は「5」
<かりな>
・ 優等生
・ この単元でかりなのイメージが変わった
・ この子に迷って欲しい
・ かりなは一方的にりゅうを嫌っている
→かりなにりゅうのとらえを変えて欲しい
●りゅうにとって
考えやすい教材である。よさが生きた。
●かりなにとってこの時間の学びとは
書いてあることはしっかりしているが、本音は?
本音より、社会としての価値観を意識して話しているのでは?
母親との関係が気になる。家庭は大丈夫か気になる。
「優等生」のような「かりな」の方が「わがまま」なのかもしれない
「こう考えるべきなのだ」という考え方
「優等生」の振る舞い方が「生きづらい子」を生んでいるし、本人も「生きづらく」なっている。
●板書の構造として
AとBそれぞれの価値観を可視化すると、学びが深くなる
立場をもっと深掘りすると子どもの考えが深まるのでは?
→立場の中での考え方の違いに目を向けることもよいのでは?
「Aに近いB」や「Bに近いA」を考えるといいかも
●教師の問いかたとして
2択を迫られると、子どもの思考が「どちらか」になってしまう。
「どうする?」「どう思う?」や「迷っている」という幅をもたせるとよいのでは?
2択を迫られても、その先を考えられる子どもになってほしい
●きょうだいがいるかいないかによって、子どもの見え方が変わってくる。
今回の実践もそう見えた。自分が実践するときも意識したい。
<提案者の振り返り>
今回の提案を通して、気になることして挙げた「かりな」のことが一層気になった。
かりな自身のこともそうだが、自分がかりなをどうとらえているのか、また、自分がかりなに頼っていることが分かった。彼女と信頼関係を築き、無理に「優等生」として振舞ってしまっていたり、その振る舞いが彼女にとって大変な感じがしたりしたら、彼女の壁になれるようにしたい。
もう一人の気になる子「りゅう」について。りゅうのことをよく思っていない自分がいた。そして、りゅうをなんとか変えたいと思う自分がいた。しかし、変わらなかった。そこで、自分の考え方を変えた。りゅうのよさを生かそう、と。しかし、それは違っていた。自分が目指していたものは、りゅうのよさを周りの子に分かってもらおう、受け止めてもらおうとしていたのだということがわかった。だから、逐語記録にある後半にりゅうに対して数多くある教師の出に現れたのだ。
提案させてもらってよかった。ありがとうございました。
<事務連絡>
●次回例会10月21日(土)15:00~@附属世田谷小学校
千葉対話の会より本村徹也さん
●各地の対話の会が行われています。
それぞれの地域で参加を。
●個を育てる教師の集い(社会科の初志をつらぬく会)の新春関東地区集会があります。
1月6・7日(土・日)
本会より、久保田さん、上村さんが提案します。
ぜひ参加を!
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