教育実践対話の会 10月例会 会場:附属世田谷小 13名の参加
○自己紹介+願いが一つ叶うなら
○提案者から 自分自身の願いを押し付けること・・・子どもの願いとずれて、独りよがりになっていないか →その現在の悩み、課題を提案
A児:「もっと頑張らなければ」と本人は感じている
B児:勉強頑張り中「十分がんばれているよ」と先生は思っている 【子どもの捉え方・願いのかけかた・授業での出方】この3本柱で考えてもらえれば
○資料読み込み15:20~15:55 ○資料を読んで質問 ・二人に願いをかけるにあたって道徳を選んだ意図 →自分の専門でやっている道徳でアプローチ、他教科との選択肢の中でというよりも道徳で ・この教材を選んだ意図は?この二人だから?価値は一見わかりにくい。 A児に向けて。それまでは普通の副読本でやった場合、ねらいに近づきすぎてしまう、書けてしまうような姿が多く見られた。現実の人たちとの関わりで授業づくりをした。
○グループ協議16:00~16:35
○全体協議17:10~
●Aグループ ・35ページの写真・文「しているようだった」は作者の切り取り方 ・「この時尾形さんはどんな気持ちだったのだろうか」だとしたら、教材になりそうだが・・・ ・やっぱり写真屋さんの視点が入っている ・ A児から始めると周りの子は反応しづらい。もしB児から始めたら・・・。保護者や友だち、これまでの学び方などは大きな影響があるが、提案者は何と立ち向かっているのか。
●Cグループ ・事実追究した方がA児のよさが生きるのでは(心情追究よりも)? ・40からの発言で流れが変わったが、周りの子は自然な形で受け止められているのか? ・素直な子どもの思いを表出させるには? →A児の意見を問いとした時、どのような授業展開にすればよかったのか? 「こういう風に生活しているんだけどどう思う?」と聞いた方が素直な思いは出たかもしれない。
● Bグループ ・ A児は自分の内なる部分を認めて欲しい →人間の生々しさ(人間のきたない部分)に迫れるようにするには?(教材自体あまりにも美しい) ・B児にとっては発表だけが学びではない。 ・B児を指名した後の言えない雰囲気 →S児はどんな思い?「やめとくならやめとくでいいよ」というTの声かけ。 ・「~みたいな?」という子どもたちの話ぶり。授業の雰囲気。 ・人間の汚い部分とは? →ダム建設や様々な事情。 ・良い子でいようとする自分、良く分かる。「やりたくない・めんどくさい」などを出せると良いが、この教材では出にくいか。葛藤が生まれない。 ・「人間のきたない部分」とCの「素直な思い」は同じでは? ・「理不尽だ」や「なんでこんなところに残るの」など ・「すごい」で思考停止していないか。ダム建設の事実も含めてぐるっとした上での「すごい」と意味が大きく異なる。 ・「きたない」というのは利己心と自分の倫理観につじつまが合わない状態。どこの事実に拠っていくか。社会科だと「さみしい・悲しい」と簡単に言わせたくない。B児の意見はむしろ5年生なりの素直さや迷いの中で、感想を書けている。 ・「さみしい・悲しい」で片付けないこと。だから道徳は対話型でなければならない。議論させてはいけない。社会科では議論させてもいいが。 ・道徳の授業観は子どもたちの中で強くある。素直な思いを語って良いのか?と感じている子も多い。 ・それが道徳の授業の課題。 ・綺麗なことを言う時間にした方が。 ・この教材の作品性もある。 ・「こんなところに住めないよ」と言える子たちならこの教材を選んでも良いのかも。 ・リアルな教材とは? 提案者:今年も、去年も扱った教材。リアルというのは「これ!」だけでは語れないものがあると(いいなぁ)。今年の子たちを見くびっていた。去年は「すごい!」が多くて、「何かすることは尾方さんのためにならないよ」となっていたが。 ・良いことをいいと書いている子もいるが、そうでない子も結構いる。村のために生きるなんていう生き方は東京ではしない。むしろ発言していない女の子のなかにいるのでは?あえて社会科で扱わない良さがそこにあるのでは。教材の力を生かす場だった。 ・写真を大事にしながら文章がついている作品として、実在している尾方さんを感じたり書き出したりしていくが1時間目、感想交換が2時間目。そしてどう書き直すかを道徳でやっていくが、それ以上でも以下でもない。それを深めようとすると、社会科的な学び方が必要になる。価値について考えると堂々巡りになる。どこで価値自由を保証し、表現できるようにしてあげるのか。そこが道徳の学びの可能性かもしれない。「てつがく」「感じる」のような時間があるのはいいが。 ・どこまで子どもが深めたのかが大事。仲間の学びから自分の学びを深められている子もいる。 ・ではそのような子どもの姿をどういう手立てとして具現化するか。感想として配るか。構築教材として示すか。 ・B児を教材化することもグループでは話し合われていた。 ・B児の素直さも教材としての価値があったがおそらくA児を出す中にも可能性はあった。 提案者:A児を出した意図は当然ある。ポンとB児が出てくることはかなり厳しい。Tは出すかどうか選択させたが。出られないけれど頑張っているB児をいつか出してあげたい。 提案者:考えているB児をあまり考えていないA児にぶつけたかった。だが、M児は予想以上に考えられていた。その状況の中、B児をぶつけようとした自分は何なのか、と反省した。去年までは道徳が討論型だった。その流れのまま半年過ごしてしまった。去年はこの教材から授業が変わっていった背景があった。(からこの教材で勝負したかった。) ・子どもたちの中に「もう少し」という気持ちはあったか? 提案者:「もっと書きたい、出し合いたい」という要求があった。だが、言い合いたいで教材に迫っていきたいというエネルギーかどうかはわからない。 ・千葉大附属小のY先生は道徳を8時間単元等で行う。一方で子どもの中には「一つの徳目について1時間で完結する」という観も強くある。1週間に1回という中では子どもは忘れてしまう。新しい道徳に対する提案をチャレンジしても。 提案者:たくさん「うーん」と悩んで考えた時間になった。来週からの授業もじっくり考えていきたい。
○連絡 この後の提案者の実践をどうサポートしていくか。 プレ検討会もやるかどうか含めて検討。
○次回例会
11月25日(土)15:00~@学芸大学附属世田谷小学校
「実践提案から語り合おう」
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