2月例会の記録

先日、2月15日に行われた対話の会例会の記録の紹介です。


教育実践対話の会 2020年(2019年度)2月例会振り返り

<みなさん、例会を反芻してますか? 〜例会担当中野より〜> 今年度の最後の例会は、25名の参加者で盛会に終わりました。千葉対話の会(代表の池谷さん)と提案者、参加者の皆さんのおかげです。ありがとうございます。 さて、今回の例会はどうだったでしょうか?皆さん、反芻していますか?例会の価値を高めて いくために、担当が振り返りを書いて、皆さんに還元していくことにしました。続けられるよ う、応援してくださいね。都合がつかず、参加できなかった皆さんは、下記の例会記録を参照さ れて、私の反芻を読んでいただけたらと思います。そして、この反芻へのご意見もお待ちしてい ます。

1 真摯に学ぼうとする提案者の姿はかっこいい 今回の提案は、「この子にとって」と「道徳の授業として」という2つの意味を考えよう としたチャレンジングな実践でした。道徳を専門的に学んでいる提案者だからこそ、教科の特性を前面に出したい。でも、目の前の子どもを見ないで実践をするなんてあり得ない。ごく当た り前の話ですが、当たり前が難しい。そこにチャレンジし、包み隠さずカッコつけず(ここが大 事)に提案を出し、参加者の意見に耳を傾ける提案者の姿がとてもかっこよかったです。その 姿に敬意を表す意味も込めて、例会担当の中野はどう見たかということを反芻しようと思いま す。

2 道徳の授業とはどうあるべきか さて、まず、提案者は道徳を専門にしている教師であるということですので、道徳の授業に ついて振り返ってみようと思います。 道徳の授業はどうあるべきか?皆さんはどう考えますか? 私は、価値観が揺さぶられることがその本質だと考えています。 「考える道徳」とか「議論する道徳」なんて言われて教科化されましたが、そんな浅いものではないと考えます。価値観が揺さぶられるのは、どの教科でもあると思います。物語の登場人物の姿、社会的な事実に出会ったとき、今まで考えもしなかった解き方に出会ったとき、想像していた実験結果と違っていたとき、考えもしなかった友達の姿に出会ったとき・・・あげたらキリ がありませんが。。学校生活の中で、今でも鮮明に覚えている衝撃的な出来事はありませんか? それによって、自分の価値観が揺さぶられたことはありませんか?道徳の授業は、そのような価 値観について直接的に扱うことで、内面的な資質を養うことが目的だと考えます。そのために 様々な方法があるでしょう。「主体的、対話的で深い学びに向けた授業改善」などと盛んに言わ れています。

3 さて、今回の提案の道徳授業はどうだったか? 有り体に言えば、価値観は揺さぶられなかったと考えます。2つ理由を挙げてみます。

(1)教材が考える方向性を定めていたこと → 教材は価値観を見直すための材料の一つ この単元では、2つの教材が扱われていました。

1「えんぴつはなんさい」

2「いっぽんのえんぴつのむこうに」

記録 中野

本時は、教材2「いっぽんのえんぴつのむこうに」をめぐって授業が進められていました。し かし、この教材、双括型になっています。書き出しは「一本のえんぴつを手にとってみましょ う。すると、そのむこうに、大ぜいの人のはたらくすがたや 生活が見えてきませんか。」と始 まり、「あなたのまわりにある、一本のえんぴつを手にとってみると、そのむこうに、大勢の人 の、はたらくすがたや生活が見えてきますね。」と結んでいます。参加者の久保田さんの言って いましたが、この書き出しと結びによって、考える道筋が決まってしまっています。提案者が ねらっていた「ものを大切に」という価値観を考える前に、「大ぜいの人の、はたらくすがたや 生活が見えてきますね」という文から「ものを大切にするべき」という価値観で考える前提の授 業になってしまっているのです。これでは、価値観は揺さぶられないし、自分の持っている価値 観を見直すことにはつながらないのではないでしょうか。 しかし、一方で、同じ文脈(日本という国の文化)で生きる私たちは「ものを大切に」してい るよね、でもその理由は何かな?という確認し合う時間であったとも考えることはできます。実践のビデオと逐語記録からはそのような印象も受けました。提案者も授業中はそれ を目指しているようにも感じました。国語で物語文を読む、社会の歴史を学ぶ、働く人に出会 う、生き物(植物を含む)などを大切に飼育する・・・など、これらもまた価値観を育むと同時 に、同じ価値観を共有するという「教育」としての機能の一部なのかなとも感じます。その点で は、「確かめ合う時間」という見方もできそうです。もっとも、提案者この授業を振り返ってみて、「このスタイルの授業に、あるいは今の自分の限界を感じてい」たようですが。

(2)読み取りの授業になっていたこと → 価値観を見直す授業に この教材2「いっぽんのえんぴつのむこうに」は国語の説明文教材、しかも、4年生の教科書 に載っていたものということでした。2年生の子どもたちにはいささか難しかったのではないで しょうか。そのため、読み取るような授業の展開になっていました。 また、教師の出方も受け止め広げるような出方が中心で、「ぐいっ」と子どもたちに迫る場面 はありませんでした。子どもたち同士でもそのような場面はありませんでした。教師が意図的に 価値観が対立するような教材を子どもたちに「ぶつけて」みるか、子どもたちとのやり取りの中 で、そのような場面を作り出すかすることで、道徳的な価値観について深めることができるので はないでしょうか。どの教科の授業でもこれは共通に言えることだと思います。 この教材で授業をしたとして考えてみます。例えば、子どもたちは「大勢の人がいて」「たく さんの日にちがかかって鉛筆ができてる」「すごい頑張っている人がいる」という意見が多く出されていました。だから「大切にする」という考え方です。しかし、そこに敢えて、「じゃぁ、 一人で、簡単に、短い時間で作っていたら、大切にしなくていいんだね?」と問いかけてみることもできます。おそらく、「それでも大切にしなくてはないけない」と子どもたちは答えるはず です。そこから、「なんで?」となり、「本当にものを大切にすることとはどういうことか」と いう本質に迫ることができるのではないかと考えます。また、逐語記録の893かける(仮名)は 「鉛筆って高級品なの?」という発言がありました。一本の鉛筆の向こうには、「大勢の人がい て」「たくさんの日にちがかかって鉛筆ができてる」「すごい頑張っている人がいる」のなら、 高級品と考えられます。しかし、鉛筆は一本60〜80円が相場でしょうか。値段的には高級品 ではありません。この子は、どんなことを考えてこの言葉を発したのでしょうか。さて、これは つぶやきだったようで教師は拾っていません(聞こえなかった?)でしたが、この言葉の背景を 考えてみると、「高級品なら大切にする」ということが見え隠れします。裏を返せば、「安物な ら大切にしなくてよい」ということになります。その考え方は、ESDの観点からも、フェアト レードの観点からもずれています。ここに教師が、もしくは、近くの子が「ぐいっ」と切り込んで授業が動くのも面白いと思いました。

子どもが(我々も)日常から何気なく無意識に価値判断を下していることを改めて問い質して みる時間、それが道徳の時間なのかもしれません。

4 終わりに 小林会長から「例会部長として、中野さんの主観で例会の振り返りを書いてみて」と言われて 「じゃあ、ちょこっと書こうかな」と軽く考えてパソコンに向かってみましたが、思ったより書 いてしまいました。このエネルギーは間違いなく、提案者をはじめとする参加された皆さんか ら得たものです。ありがとうございます。 そして、今回は、学生さんも多く参加してくださいました。また、初参加の方も何名もいらっ しゃいました。提案者の人柄のなせる業でしょうか。ありがたいことですし、憧れるところで す。参加してくださった皆さんに感謝します。都合がつかず、参加できなかった皆さんは、下記 の例会記録を参照されて、私の反芻を読んでいただけたらと思います。そして、この反芻へのご 意見もお待ちしています。

2019年度もありがとうございました。 2020年度の初回は、5月9日(土)総会14:00〜です。場所は決まり次第連絡しま す。来年度も皆さんの参加をお待ちしています。また参加したくなる例会を目指して、例会チー ムで頑張ります。例会チーム(櫻井、宮田諭、宮田浩、守谷、中野)を代表して例会部長の中野 でした。

<例会記録>

日 時:2020 年2月15日(土)15:00〜18:00 会 場:東京学芸大学附属竹早小学校

テーマ:この子にとってのよい授業×道徳としてのよい授業 〜小2道徳「わたしの考える『ものを大切に』」(A「節度,節制」)の実践から 参加者:25名

1 授業の作り方について

子どもの実態から授業を考えるとどうしても、教師の意図的すぎるあからさまな出方をしてい まう。教師の願いを直接的に価値項目や教材に表して単元を組むことに疑問を持った。そこで、 道徳の内容を大切にした単元を組む中で、子どもの様子をみとり、気になる子への出方を考えたい。

2 教材

・「えんぴつはなんさい?」 ・「いっぽんのえんぴつのむこうに」 何かの向こうにいるものを想像することを学んで欲しい。 そして、ものを大切にできるようになって欲しい

3 どんな観点でもいいから意見を欲しい ・単元構想

・授業技術

・子どもの様子

なんでもいいから意見をいただき、来週からの授業に生かしたい

4 本時の作り方 ・戦略的に発問を考えた

5 授業ビデオ視聴

・60分授業は初 ・ものを大切にする納得解を見つけるのが本時のねらい ・抽出児がどういう発言をするという ・単元を通したねらいはあったか?

教材ごとのねらいがあった。教材1「植物を大事に」、教材2「大勢の人が関わっている」を

土台にして、自分なりの納得解を持つことを期待している

6 全体での話し合い

・A子をわかるとはどういうこと?

→日々の営みの中で分かっていくこと A子はじっくりと考える子。でもそれを出せるような授業雰囲気ではない。 ・提案者の授業観ならこの授業でよいが、果たしてそれでいいのか? ・価値観が揺さぶられていない ・子どもは困っていないのでは?A子にも切実性がない、葛藤がない ・この授業の雰囲気で道徳的価値観を育むことになるのか? ・みんなで考えよう、聴こうという雰囲気が伝わってこない印象を受ける →「授業を日常の会話の雰囲気にしていく」という教師の意図があったのでは? すぐに「おしゃべり」できる授業展開はA子にとって落ち着ける雰囲気ではない? つぶやきが繋がっている姿がある。板書でもっと表現したらどうか? ・教材を2つ置いている。一つ目は2年生の道徳教材。 2つ目は筆者の意図が明確に出ている文章。「見えてきませんか?」→「見えてきますね」 国語の材を道徳の材として扱うことの是非? どういう教材を道徳の単元づくりとして持ってくることがよいのか 対立教材を持ってくることで、考え・価値観が揺さぶられるようにしたらどうか? または、単元の最初と最後を比較できるように構成するような単元づくりはどうか? 鉛筆のつながりで、教科等横断型の単元構成で作る方法もあったのではないか? ・子どもたちは素直に発言しているが、他の事は言えない流れ。 いろんな価値観が出てきた方がよいのではないか

・子どもの生活を揺する道徳 ・一つのものが出てくる背景を知ることはとても大切。だから、この授業の価値がある。 ・色々な人の思いや活動が繋がってこの1本になるということに気づく ・授業構成はどうだったか?子どもたちは聞きづらくなってしまっていたのでは? ・一人になってノートに書く場面も必要だったのでは? ・60分の授業はきついのでは?授業デザイン(形・身体的な位置関係)として再考を ・テキストの内容で理解したことと、読み取ったことを題材にして考えたこと納得できないこ とを話し合うことは違う。

・教材そのものが考える方向を敷いてしまっている

・そうは言ってもやっぱり・・・。何かをめぐって話し合う価値が生まれていない(ズレ) ・「〇〇さんのおかげで分かったひと?」という問いかけがよかったのか? ・論理で越えられない感情的な納得のいかなさに出会ったときに子どもはどうするか? それに出会うための単元構成を考えたい

7 提案者より ・自分はビデオを見て粗雑な立ち振る舞いをしているな、と感じた ・A子の理解が授業に重なってなかったのかな ・「授業づくりに重ねない」と言ったがそれでいいのかな?もう一度考えたい。

8 事務連絡

・来年の例会について ・提案のエントリ募集中!来年度の例会で提案したい人を募ってます。 気兼ねなく手をあげてください! ・5/9(土)14:00〜 総会、その後、例会。場所は今後決定 ・8月の夏の集会の日程は8/22or8/29の土曜日で考えています。

教育実践対話の会

教育実践対話の会は,一人ひとりの子どもの思いを大切に受け止めながら,教師一人ひとりが自らの実践を語り合い,深め合い,授業づくりと学級づくりの融合をめざして考究する仲間の集いです。 1998年の創設以来、全国各地の現職教師はもとより,教師志望の学生や,さらに広く教育実践問題に関心のある方々が集まり,互いの願いをつなぎ合いながら授業づくり,そして,教師としての私を考え続けています。

教育実践対話の会

教育実践対話の会は,一人ひとりの子どもの思いを大切に受け止めながら,教師一人ひとりが自らの実践を語り合い,深め合い,授業づくりと学級づくりの融合をめざして考究する仲間の集いです。 1998年の創設以来、全国各地の現職教師はもとより,教師志望の学生や,さらに広く教育実践問題に関心のある方々が集まり,互いの願いをつなぎ合いながら授業づくり,そして,教師としての私を考え続けています。